僕たちは皆、誰か他のマジシャンに憧れを抱き、自分でもやってみたいとマジックをはじめました。
アンビシャスカードのあの人だったり、ハト出しが世界一上手いあの人だったり、僕の好きなクリス・メイヒューだったり。
かつてのあなたは、一体誰になりたかったんだろう。
そして今、あなたは、どこを目指しているんだろう。
誰に憧れようが、どんなマジシャンを目指そうが、あなたがそこにいることで、人を笑わせたり、楽しませたり、場の雰囲気を劇的に変えられるかどうかってことが重要です。
我々マジシャンが、客に提供するもの
たとえば、バーでマジシャンとして働くじゃないですか。
マジックを演じてお金をもらうという立場に自分の身を置く。
(こんな語弊を招く表現はあまりしたくはないのですが)こうなってくると、自分の好きなマジックなんて出来なくなります。
たとえば僕はフラリッシュが好きだけど、そんなワケわからんテクニックなんて誰も見たいと思わないわけです。
一瞬なら見ても良いかもしれないけど、長時間されたらキツい。
マジシャン相手なら、「すげー!俺ももっと練習しないと!」ってなるかもしれないけど、一般人からすると、「マジックをやってよ」って思われるだけ。
つまり、観客が見たいのは、常にマジックであるということ。
そして、その延長線上で経験できる楽しみや喜びを求めているのです。
決して、曲芸ではない。
自慢のためのマジックになってはいけないんです。
でも、人を楽しませたり笑わせたりする“だけ”なんて、もう当たり前すぎてありきたりすぎて、全く面白くない。
と、最近の僕は思うようになりました。
それでも、6割のマジシャンは出来てないんだけど。
それでも、ありきたりな概念なことには変わらない。
だから、今回は少し鳥の目になって、自分のマジックを見なおしてみよう。
他のマジシャンとの差別化について
たとえば、結婚式で、ホッピング形式で「マジックやって」なんて言われるとするじゃないですか。
もちろんここでも、自分の好きなマジックを好き勝手やってはいけません。
というか、出来ない。
そのままじゃ全く面白くないから。
そんなんじゃ次回は呼んでもらえないからマジシャン生命が危ぶまれることにもなりかねない。
先程も言った通り、テーブルを楽しませること前提で周っていかなければならないので、自分の普段のルーティンなんて、全くの無用の産物と化す。
子どもがいるテーブルやお年寄りがいるテーブルなど、いろんなことを考えながら演技を構成しなければならないんです。
でも、そこで、ありきたりな鉄板マジックを演じるなんて。
たとえば、アンビシャスカード。
(どうせ最後は、曲げたカードのやつやるんでしょ?)
たとえば、スポンジボール。
(どうせ最後は、20個の小さなスポンジボールが溢れるんでしょ?)
そんなの、嫌だ。
だって、僕はアーティストだから。
自分が創り出した作品を、「本邦初公開です。」と言って、演じたい。
その言葉の裏には、こんな意味が込められています。
これは、僕にしか出来ないマジックです。
これが、僕のマジックです。
「日本よ、これが映画だ。」のキャッチコピーじゃないけれど、「おまえら、これが本当のマジックだ。」というマインドが、何より大事なのです。
それくらい、他のマジシャンとはかけ離れたオリジナルを創り出さなければ。
そうすることで初めてあなたにしかない演技の形が完成していきます。
あなたにしかできないマジックを作り出そう。
果たしてあなたは、どちらだろう?
鉄板マジシャンか。
それとも、アーティストか。
アーティストとは、いわば、芸術家。
自分が生み出した作品を、他の誰かに見てもらいたい。
そして、それを評価されたり、感銘を与えたり、「あなたが一番」と、言ってもらったり。
そんな人になりたいし、あなたにもそうなってもらいたい。
どうせなら、そこら辺にウジャウジャいるアマチュアたちとは次元が違うくらいのオリジナリティを持とうではないか。
マジックショップ「MAGIC SECRETS」の店長。
運営理念は、「“本当に使える”マジックしか販売しない。」
自らの商品をきっかけに初心者からプロマジシャンになった顧客が大勢いる。
小学生から高齢者まで、本気でマジックを学びたい方を徹底的にサポート中。
他では買えない価値のある商品を生み出すことに全力を注いでいる。
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